2018.07.28 Saturday

徘徊と彷徨

近頃は、交通機関の発達で、巡礼の旅というものも随分便利になりました。四国八十八カ所の遍路歩きも、バスのツアーを利用して回ってきました、という方も少なくありません。

 

私も、いつか近い日に、四国八十八カ所をこの脚で歩いてみたいと思っています。

 

実は、10代の頃から目的を定めないリュック一つの旅に憧れています。小田実さんの「何でも見てやろう」は、私にとってのバイブルでした。四国の遍路歩きに惹かれるのは、きっと当て所もない旅への憧れもあるからかもしれません。

 

あてもなく歩き回るというと、種田山頭火が頭に浮かびます。大好きな俳人で、山口にあるお墓にも行ったことがあります。彼は、文字通り、当てもなく各地を歩き回り、心に響く句をたくさん残しました。

 

つかれた脚へとんぼとまった

 

投げ出してまだ陽のある脚

 

山野を彷徨って、疲れ果て、草の上に寝そべっている様子が伝わってくる、そんな句が多く残されています。人間の「生」がひしひしと伝わってくるような句ですね。

 

「あてもなく歩き回ること」に、徘徊という単語と彷徨という単語があります。近頃は、徘徊というと認知症というイメージが強くなってしまいましたが、山頭火の徘徊あるいは彷徨という境地に、まだ10年早い私には、まずは近場から、ランニング徘徊を目指してみたいと思っています。

 

京都市内の各所で徘徊する私の姿を見かけたら、どうぞ遠慮なくお声掛けください。

 

足と靴のご相談はフットクリエイト

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 


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